Addicted to Reve d’Essor|レーヴディソール阪神JF
月曜22時に帰宅して、翌朝からは普通どおり、いや、いつも以上にタイトな社会生活に戻ったけれど、まだ脳幹がほわほわしている。
あれよあれよと阪神遠征をいたしてしまった。本当にあり得ないことだった。わたしとて師走はよりいっそう忙しい。息子は発達障害の問題で小学校すら決められず、児童相談所に教育委員会、障害児サークルや療育教室へなるべく出向いた。よい校長先生とお話しする機会に恵まれ、学校の選定は来年に持ち越しということが決定しただけでも気持ちが落ち着いて、ようやくランドセルを見に行ったくらいだ。それだって、この遠征にまつわるお土産を買うついでに。
もう「えっ、介護保険料ってなんですか?」と言えない年齢に近づいてきたにも関わらず、11年前、南井克巳騎手の引退に導かれ、9年前には同じ阪神JFに出走するナリタブライアンの最後の娘・マイネヴィータの出走を見届けにいったときと変わらない精神年齢と、あのコが戴冠するシーンに立ち会いたいというレーヴディソールへの想い。とても人様には事情を話せない休暇を死守して、阪神ジュベナイルフィリーズ観戦に仁川へ赴いた。
ナリタブライアンの孫(だから父ネオユニヴァースの立場は?)オールアズワンが早々にラジオNIKKEI杯2歳Sに出走を予定していると表明してくれているにも関わらず。
それとね、わたし、昔っから「いつかG1を現地観戦できたら、桜花賞を観たい。それと春天(天皇賞・春)」と言っていた。
月日は流れ21世紀を迎え、皐月賞・オークス・ダービーに菊花賞を、現地で観戦することができた。
桜の花びら散る競馬場で麗しの桜花賞。ああ桜花賞を観たいのよ。可憐な少女たちの激闘を観たいのよ。なのに桜花賞未観戦〜〜〜〜(´;ω;`)
ほんとに余談長いな…
そりゃあわたしが盛り上がったから行けたわけだけど、息子のそれは、たぶんわたしを上回っていた。
※参照エントリ:デイリー杯2歳Sに跳んでる馬がいた
この秋は、わりと競馬を観ていた。ことアパパネとブエナビスタのレースは、外出時は録画してでも観た。アパパネが4角でもう決したなと思うほどのレースを見せた秋華賞、牝馬だったらどうしたというほどのブエナビスタの華麗な天皇賞・秋。レース後いつも息子は一人で語りはじめていた。
「アパパネつよかったねー。だけどレーヴディソールはアパパネより強いんだよ。どうして出ないのかなぁ」
「ブエナビスタ本当に強かったね!だけどレーヴディソールはブエナビスタもぴょーんって飛び越すくらい強いんだよ」
「だけどレーヴディソールは」
「でもレーヴディソールは」
くどい(‘A`)
馬齢別競走の意味を理解させられる器に満たず、息子はどこまで理解できたかわからないけれど、とにかくレーヴディソールはまだ2歳で、エリザベス女王杯でアパパネと闘うわけにはゆかず、次は阪神JFで2歳の女の子だけが出られるいちばんすごいレースに出るのだと、幾度か言い聞かせた。
ノイローゼ気味だった10月末には迷いに迷って一部失効するマイレージを使ってひとり分だけフライトを押さえたものの、よもや実現できるなどとは考えられなかった。非現実的だし、行って負けでもしたらと思うと二の足を踏んだ。ウイングアローの第一回JCD勝利には立ち会えたけれど、すべて行ったナリタブライアン産駒のクラシックはひとつも獲れなかったのは、わたしのせいかもしれないとも思うことがあった。
忙殺されながら葛藤して、ツアーを組んでもうひとり分のエアと宿を確保できたのが阪神JFまであと2週間前を切ったころ、大阪と京都のガイドブックを買ったのが6日前、開いたのは3ページ。残業残業残業残業、お土産を買いに行くだけでも苦心して、ヘトヘトで千歳へ向かって車を走らせた。
結果はご存知のとおりで、追記もするからいろいろはしょって、月曜日の帰路。
脱北した金曜にはいきなり夕飯が22時すぎのファーストキッチンという惨事に遭うほどに夢中になったUSJ、清水の荘厳なたたずまいに圧倒され、レーヴディソールの勝利を祈願して、蒸しずしや八つ橋に舌鼓を打った京都、やさしいお姉さん(母の友人)たちにチヤホヤされ、これでもかと粉もんを食い倒れたミナミの夜、九州からの出張帰りで体調の悪いところ笑顔で夕飯をご一緒してくださり、ご自宅にもお邪魔しておいしいスイーツをごちそうしていただいた恩師ご夫妻との緊張(と泥酔)の夜。刹那のはずの至福が途切れることなく続いた関西旅行。
息子はそれらすべてを差し置いて、「いっちばん楽しかったのは、レーヴディソールが勝ったレースを観れたこと!」と言った。札幌競馬では内馬場で遊ぶ時間がどれだけ捻出できるかが主軸にある息子の口からそんな発言。母は驚いている。
舞い上がると手のつけられないアスペ野郎(注意:アスペルガーがみんなこうだとは限りません)は、阪神競馬場の規模に圧倒され、けれどパドックでは騒がずじいっと阪神JFの出走馬が周回するまで待ち、出てきたレーヴだけを凝視、スタンド前で観戦した生まれて初めてのG1のファンファーレに雄叫び、最後の直線では「レーヴディソール〜〜〜〜!」と絶叫、表彰式では身体が小さいのをいいことに母をスタンドに置き去りにしてひとり人ごみに紛れ込み、「おめでと〜!!!」と叫び、周囲に笑われていた。草津へ向かう道中、「レーヴディソールはやっぱり強いでしょ。ぼくいったでしょ」延々と聞かされた。顔立ちくらいくどいと内心疲弊しつつ、験を担いであまり好きではないカツ丼を戦前に食べたわたしもちょっと恥ずかしい。
(トンカツもどんぶりものも大好きなんだけど、ヘナヘナした揚げ物が許せない)
菊花賞も観ていたので、レーヴドリアンがレーヴディソールのお兄ちゃんであることと、彼の訃報を聞かせていた。いまいちわかっているようには思えなかったのだけど、その夜の夕飯時、息子は突如「空の競馬場でお兄ちゃんもみてたよね、ぼくいったでしょ、レーヴディソールがいちばんつよいんだよって!」と言った。不覚にも泣いた。
デイリー杯2歳Sを勝ったとき、手紙を書くと言い出して、「レーヴが字を読めるくらいお姉さんになったらね」と止めた時点で、息子の気持ちの大きさは汲んでいなかったんだなぁと反省している。
9年ぶりの仁川も、来るべくして来たんだ。
札幌でデビュー勝ちしたときには、拍子抜けするほど競走馬らしからぬ幼くて愛らしい顔立ちと、相反するキレを見せてたあのコ。
「すぐそこで新馬を勝ったカワイイ女の子」は、頂点に立った。
今や女王様の冠を戴いた芦毛のプリンセスにいざなわれての、息子との初めての遠征を誇らしく思う。
息子と同じものを観て、同じことに感動できた。それもとてもうれしい。すこしばかり早いクリスマスプレゼントを、阪神で受け取ったんだ。
だからトミカのナントカサーキットは、オールアズワンさんがきっと…
16年越しの念願なのにまだ観てないクラシックが桜花賞というのは、何かのサインだろうか。
なんてね。さすがに小学校入学とぶつかると、それはムリ。
ただ、本当にただひたすら、桜の花びらがさぞ似合うだろうレーヴディソールが、無事にいてくれることを祈る。
夢のような飛翔は、ハッピーエンドで第1幕を終えたばかり。
(後日たらふく加筆修正します。写真もちょっとある。ひどいデキだけどw)