R.I.P. Whitney Houston『The Bodyguard』
ホイットニー・ヒューストンの遺体が埋葬される|MTV JAPAN
ホイットニー・ヒューストンが亡くなった。まだ48歳。世界を席巻したパワフルでありながらセンシティヴな、生そのものがぶつかってくるような美しい歌声は、二度と聴けない。
葬儀では、映画「ボディーガード」で共演したケビン・コスナーが壇上に立ち、「僕の代役なら誰でもできたが、レイチェル役にあなたの代わりはいなかった」といった旨を話し、ちょっと声を詰まらせているように見えた。ひどくせつなかった。
世界じゅうに名声をとどろかせた彼女の、しかしながらあまりにもさびしい終焉が気の毒でならない。
この一週間は「ボディーガード」のサントラCDを毎晩のようにかけている。彼女の生き生きとした歌声に、奔放で芯の強いレイチェル・マロンがリフレインされては、ある人を思い出す。
たぶん、もう、あれほどは好きになれないだろうと思うほど、好きな人がいた。
彼女が主演を務めて世界的なヒットを飛ばした映画「ボディーガード」は、ごく正直をいうと、いまのわたしに言わせると作品じたいには懐疑的ではある が(タイタニック的な感覚で)、観た当初にあれほど感動したのに、DVDを買っていない作品でもある。観ては思い出すものが、ちょっぴり刺さりすぎるか ら。
それでも、ほとんど洋楽を聴かないわたしが、映画「ボディーガード」を観て、サントラを買ったのは、とても珍しい。まだ学生の時分、よりにもよってバレンタインの一週間前に、付き合っていた人に別れを切り出された。ちなみにバレンタインの翌日からは試験が控えていた。振り返ってもひどいタイミングだ。やれメイクやネイルはダメだの、男友達と遊ぶときは必ず報告するだのと束縛が強いぶん自身でも律儀な彼としては、ひと晩限りとはいえ、飲み屋のおネエちゃんといい感じになってしまった罪悪感がしばらく重荷だったという。
すっごく泣いて、友人たちみんなを巻き込んで泣いて、呑んで、泣いて、泣いて、呑んで、泣いた。
いつもは「バッカだなおまえ、死ね」の挨拶をする仲間のひとりが、いたくやさしかった。わたしになんてとうていできそうにない絶妙な加減で。彼氏と観に行こうと話していた映画を、一緒に行こうとも言ってくれた。それが「ボディーガード」だった。
口の悪い彼は、わたしの特別な人だった。友人ポジションに納まったのは、わたしのヘタレぶりに起因する。初めて会ったときに感じた淡い感情は、すぐに打ち消さなくてはならなかった。
とにーかく彼はモテた。一緒に遊んでいたら、女の子がワラワラと集まっている。自宅で寝ていたら忍び込まれていたこともある。女の子だけじゃなく、同性にも常に囲まれていた。泥酔しては悪態をつき、誰彼かまわず喧嘩、マイペースで傍若無人な振る舞いはあれど、どうしてわかったかと驚くほど人の感情を察知しては配慮ができて、周囲の空気を先読みする能力にえらく長けていた。頭の回転がとても速いのだろう。好かれる人だった。なんとなくレオナルド・ディカプリオに似ているような気がするのだけど、よく考えるとそうでもない。山崎邦正には似ていると思う。
同じみんな仲の良いバイト先の仲間で、いつも一緒に飲んだくれてはぐだぐだ遊んでいた。自分の感情はなかったことにした。ダメージ回避回路がムリな相手だなとすぐ察したのだろう。思いっきり傷つくであろうことも。本気で、忘れて過ごした。
他の人からそれなりにアプローチはあったから、なんとなく流されてお付き合いして、無理だったり、先の彼氏のように別れを持ち出されたらショックで泣き崩れる程度に好きになれたりはしていた。
さんざん泣き倒した直後からはじまった試験後の春休みを利用して渡米した。一足早く「ボディーガード」のサントラCDは現地で買って、歌詞カードがついていないから、幾度も繰り返し聴いてはノートに書いた。「I HAVE NOTHING」がたまらなく好きだった。
Don’t make me close one more door.
I don’t wanna hurt anymore.
Stay in my arms if you dare.
Or must I imagine you there.
Don’t walk away from me,
Don’t walk away from me.
Don’t you dare,
don’t you dare walk away from me.I have nothing, nothing, nothing.
If I don’t have you
一ヶ月半の滞在期間中、最初の2週間もの期間ホームシックにかかるという特大の情けない出来事もまた、彼が恋しかったからなんだろう。自分の本心が抑止できなくなっていくことをこの期に及んで恐れつつも、アメリカの空気にさらされて「なんだそんなちっさいことでクヨクヨと」とも考えないわけではなかったが、ヘタレは変わらず。毎晩のように電話しては、映画を観に行く約束へのはやる気持ちをほんのりにじませるのが精一杯。滞在先にとんでもない電話代を請求させてしまった。
帰国後、約束どおり、彼と映画館へ足を運び「ボディーガード」を観た。レイチェルの生命力あふれるのびやかな歌声と、淡々と業務をこなすだけでなくなっていく彼らの感情の交差、葛藤。ここ、というシーンでぐっとくるものをこらえていたら、彼はわたしの手をぎゅっと握り「おまえ、泣いてんじゃねーよ」と、涙声でささやいた。
やだーん、文字に起こしたらなんかじんましん出そうwwwキモくてごめんね、でも全開でときめいたのwww
「この人はわたしにとってケビン・コスナーよりカッコいい!」と、想いが封印から解き放たれた瞬間となった。
お付き合いしていた彼とは渡米中を冷却期間としようということになっていた。帰国日が決まったら連絡することになっていて、彼はやり直そうと持ちかけるため空港へ迎えに来てくれるつもりだったとあとから聞いたけれど、わたしの心は「ボディーガード」を観に行くことでいっぱい。というか、友達迎えに来てくれてたし。「ひどい」と友人たちにさんっざん揶揄された。
3年くらいは、彼への想いをおおっぴらにしてきた。知らない人は誰もいなかっただろう。ほんとに、ほんっとに、こんなに人を好きになれるものなのだと毎日思った。それでもまた、無理な相手だと自分を封印して、それなりに他の人を好きになったりもしてきた。思い出したくもない、しかめっ面になってしまうことが大半という経歴をたどってきた。悲しい終わりに涙をこぼしても、じき「アイツほど好きだっただろうか」と比較する卑怯。始まってもいないから終わってもおらず、そっとフェードアウトした彼への恋心だけは、きれいに残っている。むしろ美化されているだけだということも気づいていないわけではない。会いたいと思うこともある。会ったらたちまち再燃するだろうなぁとも。その彼もすでに結婚して、我が子と同い年の子どもの父親となっている。倫理的にも不可。
ホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」に酔いしれ、「I never knew love like I’ve known it With you」と口ずさみ、そのときを懐かしむ甘美な時間だけは、たまに許してほしい。
もう、ホイットニーの新譜はリリースされないから、わたしもリバイバルしない。
レイチェルは、あなたしか演じられなかった。あなたのどこまでも届く歌声が、いまは天でぞんぶんに響いていることを祈って。どうか、安らかに。
※えーちゃんは愛してるぜ!
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