〜long as grass grows,water runs

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東日本大震災

Posted on 09/06/2011 23:04 by なわでいず

 

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いろいろかまけて更新できなかった。

 

3月11日の、そしてそれから続く地震や、それにまつわるたくさんの災害。

被害に遭われた方々へは、「心よりお見舞い申し上げます」なんて言葉すら、文字にすると軽率に感じられて、ためらわれる。申し訳ないことに、それ以外に浮かぶ言葉がなくて。

まったくの自然災害がもたらすだけの被害ではなかったことが、いっそういたたまれない。

 

これまでに経験したことのない、未曾有の災害。

 

被災していないわたしたちが、ましてやボランティア活動に名乗りをあげられるようなスキルもないわたしなどは、普通に仕事をして、普通にレジャーを楽しんで、経済をまわしていくのが、たとえ本意でなくとも妥当な答えだとわかっていても、そう思い直るまでには時間を要した。いまも完全にシフトできたとはちょっと言えない。

「頑張れ」なんて、とても言えない。

 

負けないように、

枯れないように、

笑って咲く花に、わたしがなれるよう頑張ります。

 

毎日へし折れてるけど…

 

それでも健気に、淡々と北上した桜前線は、5月21日に最後の開花宣言が出された。3年前には早くて4月中旬に咲いた札幌では、例年並みでゴールデンウィークに満開を迎え、同時に雨にたたられた。

 

 

2011年3月11日。仕事中に地震が発生した。海に囲まれた北海道でも内陸部の札幌市にしてはあまりに長く、気持ちの悪い揺れに、これはもっと大きく揺れている地域があるだろうとは思った。けれど、こんなにも大きいとまでは、想像がつかなかった。そして、あの、津波を。

 

よく地震の起きている印象のある根室や、宮城県には、親戚がある。札幌ではこれまで経験したことのなかった幾度かの余震に、保育園の息子を案じながら、仕事を放り出して、ケータイのワンセグTVをつけ、プライベートアカウントでTwitterを起動した。伝わってこない情報にやきもきしたあと、信じられない光景が映し出された。町が、流されている。ケータイの小さな画面を見て、血の気が引いた。

 

宮城県仙台市、多賀城市と、石巻市にそれぞれ親戚がいる。どちらもなかなか連絡がつかず、ネットでわかるかぎりを尽くしたが、電話回線の寸断はもちろんのこと、インターネットってなんだっぺ?ぐらい言いそうな石巻の伯父とは、ネット経由で連絡がとれる期待は大きいとは言えなかった。それでもすがれるものには何にでもすがらずにいられなかった。

Twitterをはじめとした、多くの顔も知らない方々との情報リレーと、連日の報道で、外部の人間は被害の大きさを知った。電気も使えなかった被 災地の方々にこそ必要な情報が届けられていないことにやきもきした。

 

石巻の伯父夫妻の安否がわからず憔悴していた3月15日の午後、無事だとの連絡が入った。息子の保育園卒園式の前日のことだった。

「尊い命がたくさん失われた。被害もなく元気でこの日を迎えられたことを幸いに思おう」と送辞をいただいた卒園式。何の手伝いもできずに、たった今もご家族の行方のわからない方々がたくさんいらっしゃるところに、たかだが保育園の卒園式ごときで目頭押さえるかと、妙な意地を張って、こみあげてくるものをぐっとこらえた。

札幌とて他人事じゃないという不安もあった。緊急地震速報を見逃したくなくて、平日はつけることもないテレビをつけっぱなしで寝た夜もあった。見逃したくないくせに、いざ緊急地震速報が流れると、心臓が飛び出そうだった。東京で揺れていると中継されて少し置いてから札幌も揺れ、寝ている息子に覆い被さったこともあった。入学式なんかのんきにやっちゃっていいのかとも思った。ランドセルも流された、幼稚園を卒園できなかった子どもたちもたくさんいた。

どうしても、背徳心が拭えずにいた。

 

卒園、入学、慣れない環境、新生活、精神不安定な母に情緒不安定な息子。毎日毎日、いたたまれない気持ちと、悔しさと、焦りと、忙しさと…どうにかなりそうだった。

 

明るい看板が気に障った。有益な情報を得られたTwitterで、「募金した」という発言を目にするのがなんだか苦痛だった。北海道は多く電力を使う冬場だけに余剰があり、北海道民が節電を意識する必要すらなく送電を続けていられた。送電限界量がひどく小さいことが申し訳なかった。それをわかっていても、電力の使用には過敏に反応した。暗がりの苦手な息子はとうとう照明をつけずにトイレに出入りするようになった。ススキノやテレビ塔、そしてコンビニの看板が消灯された。静内への道中、恵庭や千歳、日高管内もずいぶんと暗くて、北海道が泣いているようだった。ただオロオロするばかりで仕事は手につかず、ただ眠れず、イラついていた自分が恥ずかしくなった。

コンビニの照明は、地域の安全も担っていることを、小学校に入学する息子の存在で知ることができた。これまで庇護のもと暮らしてきた息子は、ひとりで歩いて登校して、ときにひとりで夕方に児童会館から帰宅しなければならないのだ。一人でお使いの練習がてら息子と手分けして、千円札でコンビニスイーツを1つだけ買い、お釣りを募金箱に入れてまわった。ファミリーマートの「俺のエクレア」がいちばんおいしかった。

レーヴディソールが故障して、春は全休になった。桜花賞前週のMr.Childrenライブを諦めたのは、彼女を応援に桜花賞へ行こうと思っていたから。旅費を募金にまわした。先月までとっても苦しかった。

 

北海道は、直接には漁業が大きな被害を受けた。ホタテや牡蠣の養殖場が壊滅的で、300億円規模といわれる。また、近年アジアからの観光客が大きな収入となっていた観光産業が、海外ツアーの8割以上からキャンセルを受けており、震災以降3ヶ月間ほどで1000億円超のマイナスと試算されている。実際、北海道有数の温泉地・十勝川温泉に泊まった際、ゴールデンウィークにも関わらず当日に廉価のプランで宿を確保できてしまった。

北海道も応援しよう!という気持ちもあって、静内で外食したり、十勝に泊まりがけで出かけて、地のものをいただいたり楽しんだけれど、やっぱりどこかで後ろめたくて。

 

続く余震に怯えながらも、なじんだ土地での再起へ懸命に生きる被災地の方々の思いに胸を打たれた。

柳井正ファーストリテイリング社長や、孫正義ソフトバンク会長に感嘆した。

台湾からの信じられない寄付金に涙が出た。

 

一本だけ残った松の木に希望を見いだす方々の強さに、逆に励まされた。

 

一方、息子と同じ発達障害を抱える子どもをもつお母さんたちが、理解を得られずに避難所で苦しんでいること、孫の孫の孫の孫の代にも負の遺産を残された土地、胸の痛むことがたくさんある。

 

わたしにもできること。

 

何の不自由もなく暮らせることに感謝する。

精一杯できることはしていく。

経済をまわす。

 

愛国心を、同じ日本人を、こんなにも慈しむ気持ちを、自分に見いだせました。

見いだせたからには、相応の、日本人の名に恥じない生活をと、思います。

 

 


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