Get Back

Get back to where you once belonged…?
ディズニープラス(以下D+)では2024年に映画館で上映されたQUEENのモントリオール公演を繰り返して観ているとたびたびおすすめされたThe Beatlesの配信も繰り返し観るようになった。学生時代にバイト先の雇われ店長たちと親しくなって、彼らが愛してやまないビートルズ中心のコピーバンドを組んでいたことからわたしもよく聴いていたのだった。なので大半の曲を口ずさめる程度に知っていて、けれども彼らがどのような経緯をたどったのかはD+で知っていった。
D+で視聴すると『Get Back』がどうにも耳に残る。ルーフトップコンサートの映像がものすごく気に入ったからだろうか?しだいに脳を侵食して自動的に頭の中に響いてくる。ここまでくるとなんだかひどく気になって調べると、これがまた今だからこそ出会って考えさせられる曲だった。
諸説あるので正しいのかどうかはわからないけれども、一説として当時(1968年)イギリスの移民政策に異を唱えた議員の、のちに『血の川演説』と呼ばれた演説を揶揄したものとされていた。

イーノック・パウエル英語版)(1912年-1998年)

血の川演説(ちのかわえんぜつ、英語: Rivers of Blood speech)は1968年4月20日に、イギリス保守党下院議員イーノック・パウエル英語版)が、バーミンガムで行われた保守党の会合で行なった移民政策を批判した演説。当事、党首エドワード・ヒース配下のシャドー・キャビネット(影の内閣)の国防大臣であったパウエルは、第二次世界大戦後のイギリス連邦国家コモンウェルス)から本国への移民の多さを懸念し、同年に提出された反差別法である人種関係法に強く反対した。

この演説はすぐにイギリス全国で物議を醸す論争となり、その翌日にはヒースはパウエルを影の内閣から解任した。しかし、パウエルを支持する国民の声も多く、パウエル及びこの演説が、一般には1970年の総選挙における保守党の勝利の要因の1つだと考えられている。もっとも、パウエル自身は誕生したヒース政権の主要な批判者の一人であった。また、発端となった人種関係法の改正案自体は最終的には賛成多数で可決され、1968年10月25日に女王裁可を受け成立した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

こんにちのイギリスでは規制を強めようという動きが進んでいるというニュース記事を読んだ。EU諸国ではイタリア強硬右派のメローニ首相が次の一手で早く動くかもしれないし(ソース: https://www.bbc.com/news/articles/crr7vg1zdklo )、フィンランドも永住許可について2026年から条件が今よりも厳しくなる。(ソース: https://valtioneuvosto.fi/en/-/1410869/government-to-tighten-conditions-for-permanent-residence-permits )

日本ではたった500万円(ちなみに韓国は約3,000万円)の資本金で最長5年間の滞在が可能な経営管理ビザを申請することができる。ひとたび取得すれば次々と親族を呼び諸条件をクリアし永住権が獲得できることを本来の趣旨から外れ、『安く高度医療を受けられる』などの目的で入国する人たちは後を絶たない。妊婦が入国して出産すれば日本国籍が手に入るのだ(ちなみにアメリカは不可)。今年に入って中国人によるニセコに2箇所もの大きな破壊行為(巨大リゾートホテルの建築途中の破産による工事停止、購入区画の4倍の面積の森林を切り倒して開拓)のあったことには土地を販売したことじたい、行政の対応のみならず当人たちにも悲しみを突破していよいよ腹立たしさを隠せない。何しろ今の日本はなんだかおかしい。法の抜け穴とは見方によっては性善説に則ったものとも受け取りたいのだけどそれすら言い難い。まずは時代に即した法規制の整備が絶対に必要だと思う。良心の有無ではなく育った文化の相違とはかくも大きな齟齬を生むものなのだ。
平素から考える『弱者救済』は、多少のロスがあっても救済しなくてはならない人たちを必ず看過することなく保護することを最優先すべきと言っている立場にあって、ここでもそれは当てはまる。一部の悪目立ちのせいで善良な在日外国人に肩身の狭い思いなど絶対にさせてはならない。
観光でも仕事でもせっかく日本にと思ってくれたことそのものがうれしくって光栄なことではないか、もてなしの心で迎えて日本を好きになってくれたらいいなと、ずっと思ってきた。
その気持ちが揺らいでしまいがちな昨今、この曲は本当に堪える。堪えるけれど頭から離れない。

作成者: なわでいず

北海道の人です