自由

昨日は『自由権』について考えていた。

好きな学問を得る権利を持ち、信教を得て、世界中から発信されるありったけの情報から好きなものを取捨選択して思想を得て、それらについて友人と話す。ときには大きな話し合いの場を設けたりデモに参加することも。それらはすべて自己決定、自由意思に委ねられる。
もちろんそこには公共の福祉が介在し、適切なボーダーは引かれるけれども、根本的な自由は損なわれるものではない。
ましてそれを国が押さえつけるなど言語道断。
本来、国とは国民で構成され、国民の自由や権利を保護するべく存在であり、政治家があたかも天上人かの如く振る舞うなど根本的に誤り。

なにやらそんな自称天上人がXでの特定政党批判を即時削除できるようにしていくとかしないとか。憲法の改正まで乗り出す連中である。民主主義がまっとうされ続けるよう国民は義務として常に意識を向けていなくてはならない。
『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。』
– 日本国憲法前文より

LINEはいつだって通じて誰にどんな話をしたっていい。こんな当たり前が成り立たない場所のことを考えると、自由権の重大さにたどり着く。掲げた法律に記された個人の自由はすべて国家が優先され実態が伴っていない。使用率がほぼ100%という優秀なアプリを開発し、特定のNGワードは即座に削除。投稿者の通信は遮断。投稿が政府的にアウトだとすぐさま削除され顔写真とパスポート、「2度としません」と誓約書を提出させられた日本人のレポートがある。アプリが優秀なのは当然。他の候補たるアプリに分散するよりも通信内容や行動記録の一括管理が容易だからに他ならない。
検閲に支障のある暗号化通信のLINEは接続じたいをブロック、国民の思想の自由を阻み選択肢という発想をそもそも持たせないようYouTubeやXをブロック、画像解析など追跡AIが日々アップデートされていてスクショすら危ないという。VPNとのイタチごっこは終わらず脱獄手段も減るばかり。内緒話ができないからこの事実を知る人じたいが少ない。トイレに扉がないのと同じ。
※中には扉すらないトイレも『国家に対してプライバシーなど存在しない』と植え付ける手段とみる専門家もいるという
史実と異なる教育を与え特定の外国に反発心を持たせ、国家への忠誠心だけを無菌培養する。

数千人、数万人ともされ残された写真からは万単位に見える多くの民主主義を訴える善良な市民が戦車で轢き殺されるという現代とは思えない悲劇となったあの日から36年。当時の世代からは声を奪い、次世代からはその出来事を知る機会すら完全に奪った。
今日もきれいだと見上げる空は、監獄の天井に描かれた絵画であることも知らぬと言うのか。

作成者: なわでいず

北海道の人です