南井克巳騎手がムチを置いて14年
1999年2月27日阪神、翌28日中京競馬場で最後の騎乗を行ったJRA騎手・南井克巳。
わたしは彼が大好きだった。初めて観たのは彼とナリタブライアンが三冠を制した菊花賞。小さなおじさんの感無量の表情に、当時学生だった時分で胸を打たれた。
それから競馬にのめり込み、社会に出て、ナリタブライアンは故障で無念のリタイヤ、そして種牡馬としての活躍を大いに期待されながらも、産駒のデビューを見ることなく天へ昇った1998年。その少しあとに、南井騎手が引退を表明。「わたしの競馬」は終わるんだ。絶望した。
行けそうにはなかったので、周囲の「行かないの?」の声もつらくて。まあ、金曜の夜に航空会社に電話したらちょうど空きが出て、それ押さえて翌朝関空へ飛んじゃった、と。
阪神はすごく冷たい風が吹いていて、だけど札幌開催以来の南井騎手がまだ乗ってくれていて。
レース終了後の小さなセレモニーで騎手たちに胴上げされる南井騎手を見て流れる涙も、六甲おろしが拭いてくれた。
夕飯後、新幹線で名古屋へ。荷物は重たいし胃けいれんは治まらない。太閤通口ってどこ。愛知県ってどこ。右も左もまさにまったくわからない不安のなか、小さなホテルで震えて朝を待ち、中京競馬場へ。
南井克巳騎手にとって中京競馬場は思い出の競馬場。ここで騎手になるきっかけを得て、騎手としてのデビューもここ、大輪を咲かせ引退するこの日に、中京を選んだ。
素晴らしいファイターだと思う。1着でも上にという信条で最後まで馬を追う。馬券を買うほうは「あそこまで南井が追ったんだからしゃあないな」と納得する。情に厚く、厩舎内でも礼節を欠かさない。オグリキャップの勇姿を涙で称え、タマモクロスとゆっくり階段を登り、ナリタブライアンで三冠ジョッキーとなり、NHK紅白にも出演した。
これまで札幌でしか見たことのないJRA競馬。中京競馬場で南井騎手はじつにいきいきと騎乗していて、なぜ引退するのかが理解できないほど。
そして、ラストライドとなるメインレースの白川郷ステークス。6歳にして初芝という馬ではという専門家の予想をよそに、南井騎手とリキアイワカタカは一番人気。
その思いをのせて、リキアイワカタカはハナ差の接戦を制した。
向こうから戻ってくる南井騎手は、騎手だけがわかるといわれるハナ差の勝利を確信していたのだろう。子どものように腕で目をこすった。
昼休みの引退セレモニーは名伯楽の小林稔先生と一緒。大きな花束を渡してバシッと肩を叩いていったのは、いまは亡き小島貞博騎手。
最終レース終了後のセレモニーでは「え、今日はこの中京競馬場に10万人ほどお集まりくださり…」と口を開き、まず爆笑。これまでの思い出を語り始めると、目を真っ赤に。
彼の人柄を感じた最後の言葉。
「これからも競馬を愛してください」
調教師としてもぼくを、ではなく、競馬を。
あれから14年。妊娠出産子育てを経てずいぶんと疎くなってしまったけれど、いまもわたしは競馬ファンを名乗っている。素晴らしい名馬たちとの出会い、そして根底に南井騎手の「遺言」あってのいまなのだと、毎年2月末日に特に思う。