〜long as grass grows,water runs

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映画「レ・ミゼラブル」Les Miserables

Posted on 02/02/2013 13:07 by なわでいず

とてもまとまりつかない長編駄文が勢い良く文字数を増やしつづけて恐ろしいサイズになったので極力かいつまんで書き直し…

映画「レ・ミゼラブル」を観てきた。感想は「翌週にもう一度観に行った」でお察しください。できればまだ観たい。

親友と観た「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で座席から立ち上がれなくなるまでの歴史的号泣に次ぐといえる全力号泣。神経と涙腺の休まる間がなく、見終えるとどっと疲労を背負い、腫れたまぶたが重たい。精神的にずしりときて、家路についてからもずいぶんいろいろと考え込んだ。ここ数年来、あれこれ考えることなくライトに楽しめる作品(ラブ・アクチュアリーみたいの好き)を欲しているのだけど、もう一度観たい気持ちは日を追ってむしろ強まった。

Les Miserablesは直訳すると『無惨な人々』、日本語版は「噫無情(あ〃無情)」なのだ、Miseryなのである。それにしてもいきなりむごい。始まるなりスクリーンいっぱいに不条理な無惨さが突き刺してくる。鎖のつながる首輪、手かせに足枷、波をかぶり海中で汚れた身体にぼろ布をまとい重労働に身をやつす受刑者たち。ただでさえ騒音問題で落ちて落ちてようやく少しずつ取り戻してきている最中。動悸が前頭葉あたりでもはじまり、手足がひんやりと冷たい汗を流す。息子は音量の大きさと迫力で引いている。ああ…無情だ…

しかしながら気の休める間も許さずにストーリーはどんどん展開していくにつれ、動悸も、冷や汗も、隣の息子の存在も忘れ、ジャン・ヴァルジャンの荒んだ心に苦しむ。飢えた姉の子のためにパンをひとつ盗んだ咎で19年もの年月を囚人、否、奴隷として費やしたスクリーンの彼はヒュー・ジャックマンには見えない。理不尽の芯を残した弱々しい声。世の恨みつらみをたたえぎらついた瞳。恐ろしく、悲しく。

世の無情さを一身に受けるジャン・ヴァルジャンをあたたかく包み込む司教の無償の愛は、どん底にはじめて昇る一筋の朝日のよう。その愛情の深さを受け歌い上げる懺悔には生きる力が甦る。あれほどの惨い経験を経てもなお愛を感じ取れたヴァルジャン、あれほどに荒くれたヴァルジャンの心を救った司教に涙、涙。

身分を偽り8年もの歳月を経て人格者と慕われるまでになったヴァルジャンのすぐそばで、次に世の無情を体現するのがファンティーヌ。アン・ハサウェイの美しさに悲哀を感じるのははじめて。幼い頃から苦労の連続で、授かった病弱な娘を預けてひとり女工としてかろうじて生きる彼女が、理不尽に身をやつしていく。精神まで痛めつけられ、たったひとつの望みであり、心配事であった娘の将来を確約され、安堵の表情で旅立つ。美しい髪も、歯も、肉体も…娘のためにと小銭の代償にしていった「母の子にすべてを捧げる愛」に嗚咽。

すごくいやな役回りではあるがジャヴェールが悪人とは思わない。彼は法の遵守こそが主への忠心であり、自分の正義そのものであり、頑に職務を貫いたまで。服役囚を両親に持ち、ヴァルジャンの服したトゥーロン徒刑場で生まれている。原作から補足すると出生からアウトローである絶望と憎しみから、社会秩序を厳格に重んじる人間として成長した。多寡はさておき、ルイ・ヴィトンで根こそぎであろうと、食料品店からパンひとつであろうと、窃盗は窃盗。パンを盗まれた人の子どもが今度は飢えていたかもしれない。そこをくっきりと線引きすることで彼は精神の安定も保っていたのだろう。だからこそヴァルジャンの生き様に自らを顧みて、生きる糧ですらあったのであろう信念が揺らぎ、覆すより他ないと考えられる心を持っており、『小さな戦士』ガヴローシュのなきがらを悼み、身を投じるに至ったのではないだろうか。彼が屋上で夜空を見上げ正義を貫かんと歌い上げる姿は、悲しい。

じっさいにそうなのか、作品を通じて考えさせられた「隣人を愛する心」をわずかな間でももてたからなのか、わからない。ごくごく正直いうと2度目には「ラッセル・クロウの見事なおっさん太りをツッコみどころに涙をこらえよう」と密かに企てていたのだが、情は移るわ、恰幅のよさも含めてカッコいいんだからどうしようもない不戦敗に甘んじるハメに。


ヴァルジャンがリトル・コゼットを救出して馬車で呆然と歌うシーンにも嗚咽をこらえるのに苦心した。幼くして母の顔もおぼえておらず虐げられ、ぼろ布でつくったお人形を大事に抱えていた少女は、ヴァルジャンがさっと差し出すお人形に目をきらきらさせ(このプレゼントがまた粋で泣ける)、自分にすべてを委ねて安堵の眠りについている。彼女をいとおしく思う感情に驚き、これが愛なのだと。ちょっと原作からの補足をすると、彼は早世した両親の代わりに自分を育ててくれた姉がひとりで育てる子どもたち、つまり甥、姪たちの今にも死んでしまいそうな飢えに見かねてパンを盗んだために投獄されている。姉が、ファンティーヌが、自らを削ってもつないできた幼き生命のまばゆさを、コゼットが教えてくれたのだ。

そんなコゼットはファンティーヌの血を継いでとても美しい女性に育つ。両家の子息に生まれつきながら、French Revolutionに市民派として活動する若き弁護士(原作では)マリウス・ポンメルシーが一目惚れするコゼットにようやく会えたシーンの競演は絶望の底から見上げる春の陽光のよう。マリウスを演じるエディ・レッドメインの声色と歌唱力は素晴らしい。コゼットを演じるアマンダ・サイフリッドのソプラノは、コゼット役の担う「愛の象徴」そのもので、淡いピンクの花びらが舞い散る空に響くフルートのよう。彼らふたりの互いを愛おしむ気持ちあふれる歌の時点で涙腺はゆるんでいるのだが、そこにこれほどまでの両思いを目の当たりにしてもなおマリウスを愛する気持ちと、叶わない悲哀にも手折られない深さを歌い上げるエポニーヌに決壊。

ジェマ・ワードが大好き、金髪碧眼に強烈に憧れるので、ぱっと見ただけでコゼットの可憐な美しさに泣いてしまったが、いつでもマリウスをまっすぐに見つめつづけ、とてもよいとはいえない境遇で育ちながらも彼への愛情に対して卑怯なまねをしないエポニーヌの慈愛に満ちた笑顔が、どんどんいとおしくなっていく。マリウスの腕に抱かれて、致命傷も雨もものともせずにっこり笑い続けるエポニーヌの美しさには、自制心も決壊して嗚咽をこらえられなかった。だめだわ書いてるだけで泣いてるし。

ああまた尻切れ。常に人を愛し、危険をいとわず人を助け、役割を終えたと静かに逝くヴァルジャンは、泥棒ではなく、聖人だった。愛するゆえパンを盗み、19年間の地獄に失った愛を司教が授け、その愛を周囲に分け与え、正しい人間であらんと生きたヴァルジャンの静かな旅立ちは、心だけは清らかにありつづけた愛する隣人たちに迎えられる。

そんな彼らの命運を分つ6月暴動のシーンは、幼いガヴローシュが歌う「自由のために戦い、いまはパンのために戦う」の歌詞があまりに悲しい。刹那ごとに新たな悲しみがわいてきて…書ききれない。

 

さて、映像がスクリーンに映し出されて数分で泣き始めたわたしが、しいて1曲だけを挙げるとすると…すごく迷うのだけれど、書いているとエポニーヌの「On My Own」を推さないわけにいかないでしょう。はっきりしないのはどれもすばらしいために選ぶのが困難であるから。


明日をも知れない時代、貧しい暮らしにも、しおれることのないみずみずしい恋心。愛しいマリウスが一目惚れしたコゼットのことを調べて欲しいと自分に頼んでくる、2度目の出会いを果たしたふたりが目の前で愛をさえずる。どれほど傷ついただろう。ふりだけでも一緒にいたいと願う彼女とて、妄想だけでは生きられまい。それでも一途にマリウスを愛し、彼めがけた銃弾にもひるまず我が身を呈するエポニーヌのいじらしさが集約されているナンバー。寝静まる街、雨に打たれながらとぼとぼとひとりで歩いているんじゃない、目を閉じればあなたが寄り添っているのだと歌い上げる。

 

On my own
Pretending he’s beside me
All alone
I walk with him till morning
Without him
I feel his arms around me
And when I lose my way I close my eyes
And he has found me

 

愛する心には、重たい責任が伴う。理不尽に泣かされる夜もある。自由が規制されることもあろう。それでも愛せる者をもつことの歓びは大きい。

観た直後はそんなことはとても言えないほどショックが大きかったが、日を経て、改めて観て、やっぱりショックだ。だけどそんなふうにも思える。不条理だと思うこともとてもやめられないけれど、なにしろこれは「ああ無情」なのだから…。

 

ミュージカルに興味がないことを堂々と言えるようになったのは、タモリの功績によるものだと思っている。彼が「唐突に歌い始める理由がわか らない」といった旨の発言をしたとき、「たぶんこれなんだな」と感じた。矛盾することに、それに気づくずっとずっと前、中学生のときに観た「サウンド・オブ・ミュージック」にいたく感動したことで、映画の素晴らしさに目覚めている。「こういうの待ってた!」と感激した「シカゴ」はいまもちょくちょく観るし、先に記した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」はのちのち病んでるのかと不安になるほど本作で頭がいっぱいで苦しみ、友人と繰り返しこの話をした。「ダンサー〜」はあのような作品だとまったく知らずにスクリーンに入ったため「え、歌うの?」と驚いたのだが、それも最初きりで、あっという間に惹き込まれていた。ひょっとするとこれら素晴らしい作品との出会いを経たから、すんなりと本作が胸に入ってきたのかもしれない。そのような意味でも、「サウンド・オブ・ミュージック」「シカゴ」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、わたしにとって白眉であり、そこにこのたび「レ・ミゼラブル」も追加された。素晴らしい歌声、褪せないストーリーにうっかりスタンディングオベーションしそうになり、苦しみ嘆き劇場をあとにするときに爽快感は微塵もないが、これほど揺さぶられることはめったにない。

すでにゴールデングローブ賞では3部門を受賞、今回のアカデミー賞では8部門でノミネートされている「レ・ミゼラブル」。「リンカーン」は強敵のようだし、レオナルド・ディカプリオが出演している「ジャンゴ 繋がれざる者」も挙がっている。他作は観ておらず比較のしようがないが、勝ち負けでなく、わたしには忘れられない作品となった。
(ところで当初の公開日は『ホビット-思いがけない冒険』とかぶるため12月25日に延期して『ジャンゴ』とぶつかったそうだが、『ジャンゴ』ならよかったのか…?)

ゴールデングローブ賞に「レ・ミゼラブル」 – 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9d6h

第70回ゴールデン・グローブ賞 主要部門ウィナーリスト http://www.mtvjapan.com/news/cinema/22062

(「レ・ミゼラブル」は作品賞、主演男優賞(ヒュー・ジャックマン)、助演女優賞(アン・ハサウェイ)の三冠)

 

「ショーシャンクの空に」はDVDを借りてきて、あまりのつらさに通して観るのに4日間要した。これも映画館でなければ同じように時間を要したかもしれない。悲しいにもほどがあり、映画館で観てとても気に入った作品でありながらBlu-rayやDVDを買うことはないなとも思ったが、いっぽうでリリースを待ち望んでいるところは、やはり「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のときと酷似している。あまりにつらすぎて二度と観られまいと感じたあの作品を、けれどももう一度観たくなりDVDプレーヤをはじめて購入したのだった(再生するまではえらい時間がかかったし、いまもラストシーンはまともに観ていない)。できるならば、映画館でこそ、もう一度観たいなあ。2度目とおなじく、ティッシュは箱で持参して。

 

こんなエントリしたら、やっぱりもう一度だけでも映画館に…エポニーヌもう勘弁して、脱水起こして倒れそうよ…

 

※本作の原作が品薄かもしれない。欲しいのだけど児童書などばかり。息子に買い与えておこうかな。

レ・ミゼラブル ユゴー


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