二たび、美瑛・青い池へ
去年のことになっちゃった…
2012年11月11日。お決まり事の寝坊をして、予定を大幅に変更しての美瑛・富良野日帰りドライブは、「青い池」だけでも行けたらの心持ちで出発。
7月の終わりにはまさにファイナルといった状態の見事なラベンダー畑に感動、そして初めての美瑛町・青い池に感嘆。気象条件により色が変化すると聞いたので、またぜひ来てみたいとずっと思っていた。なので今度は前回ラベンダー園だけで終えた富良野は、ドラマ「北の国から」めぐりをしてランチ、午後から向かって美瑛は丘と青い池を計画していたのだけれども、またの機会に。
峠越えはそろそろ冬タイヤが安心な時期折、夏タイヤではせめて夜間の走行は避けたかったが、幸い雨が降ることはなく、路面凍結は免れた。それでも札幌では遅い冬の到来を待つ段階で桂沢湖を通る富芦道路は車道脇の草木が霜にびっしりと覆われている。内陸は寒い。
富良野市内のホムセンは店頭に除雪道具をずらりと並べている。使う日は近いのだろう。(実際近かった。観測史上初ともいわれる遅い初雪=根雪(春まで居残る積雪)、記録的な豪雪となり、排雪作業におわれた)
まずは、夏ほどの混雑はない道を走り美瑛の丘へ。昔、日産スカイラインのCMで登場したという「ケンとメリーの木」は、樹齢89年のおじいちゃんポプラ。美瑛の丘は秋こそが美しいと聞き楽しみにしているが、ちょっと最高の時期からはズレている。それでもなんと言えばいいのか、枯れ葉のこすれる音がくっきり際立つほどの静けさ、ぴんと張りつめるけがれのない冷たい空気、もの言わず白い季節を受け入れるかの気配が、なんともきれい。
収穫を終えた畑、秋蒔きの畑、これから出荷なのかそうでないのか青い作物のごろごろする畑…遠く澄んだ青空と、シックなパッチワークになった丘の、まるで絵本の中に入り込んだような世界。
美しさに意識を奪われる時間は悲しいかなさほど長くはないだろう。なにしろ寒い。そしてわたしは情けないほど寒がりで、頑固な冷え性。今日もヒートテックは3枚、中綿入りのモッズコート、ウエスタンブーツ姿で、iPhoneをタップする裸の指はかろうじてかじかむ直前でいられる程度。※当日の美瑛の気温は5度弱ほど
では次、いってみよう!
美瑛の道の駅に立ち寄り、iPhoneのマップを青い池へ向けて設定。
(ちなみにこの日のためにマップが大不評をかったiOSは6にアップデートせず5のままにしているほど頼りにしている)
道の駅を出たらあとはほぼ一本道だということは、道中まで気づかなかった…
北海道の中央を走る十勝岳は、際立つ白さの凛とした姿。夏に走ったときには両脇が迫ってきそうなほどに生い茂った緑が様変わりしており、ときおり眼前に広がる冠雪した山々を「目の前の山は美瑛岳です」「十勝岳です」と紹介されている看板に止まったり、スピードを落としたり。7月に訪れた際には途中でお亡くなりになったSoftBankの電波が望外にしっかりしていて、とても心強い。
青い池の看板から左に折れる。駐車場は7月ほどではないけれど、こんな時期に他のアクティビティの少ない場所にもかかわらず多くの車が停まっている。
うっそうとした林も枯れ、青い池は向かう途中にも木々の隙間からかんたんに覗くことができる。青…青い。普通に青い。いいや、ちょっと緑がかって青い!あちこち移動しては角度を変えて見てみても、普通に青い。あれれ、青い。
考えたら「青い」のは普通。ここでは「緑」を「青」と表現しているのだなあ。息子から小さなころ「青信号は緑なのにどうして青と呼ぶの?」と訊かれて困ったことがあった。
訪れる前の数日間は秋らしい雨が続いていたので、大きな変化があるようだと調べてはいたが、ほんとうにぜんぜん違うのだから驚いてしまう。しかしながら不思議なことに、白を抱いた山々までも映し出す清らかそうな水をたたえながらも、ここには生物の気配がない。それこそがミルキーなグリーンがかったブルーの理由である、山から流れてくる水に発生するコロラド粒子の存在なのだろう。夏の京極では魚を期待して川に近づき、みつけるとすごくうれしかった。なぜなのか、ここは動物を寄せつけないところに孤高まで感じる。たった2度ではあるが、わたしは「青い池」がめっぽう気に入ってしまったのだ。だいたいケチで貧乏性だから、たかだか池ひとつ見学するためだけにガソリン代と時間を費やそうと考えることじたいが異例なんだろうな。
夏の緑に囲まれた青い池はじつに見事だったが、OS Mountain Lionの壁紙は冬の青い池。あれに近しい草木の枯れた季節の青い池は、やっぱり美しい。冬にも来てみたいなぁ…
時計に目をやることも惜しみ、ただただ目の前の幻想的な池を眺めていると、否応無しに時間の経過を太陽の向きが教えてくれる。西日がまぶしい。残念ながらここで夕暮れを迎えてはならない。帰り道怖いし。ぜひまた。
時間がないのでひとまず富良野・麓郷方面へ急ぐ。事前調査で「原始の泉」という名水スポットを見つけていた。地図によると、ここから麓郷へ向かう道中にそれがある。もう「北の国から」の家めぐりはできないけれど、ちょっとした回り道にはちょうどいい。
http://www.bfh.jp/theme/theme_searchdetail/40020242401/
ここもiPhoneのマップがなければわたしには難関だった。ここは何かしら怖い動物に出会う確率を背筋に感じるレベルで本気の「原始」な手つかず状態な山の裾野にある。人の手でつくられている看板や水汲み場にいたくほっとするほど。先客が一組、20Lほどであろうか大きなタンクをいくつもいくつも並べては水を汲んでいた。あとから来られた方も4Lサイズの焼酎の空きボトルを十数本は出していた。飲んでみると、たしかにほのかに甘いような…?味覚オンチなので自信がないけれど、身体はおいしいと言っている。京極とはまた違う味がする(京極は突き抜けて無味無臭で、実はそれがすごいことなのだと水道水を飲んでみて気づいた)。暗くなるとますます怖い。お茶を入れたマグボトルにもお水をもらって大満足で逃げるように原始の泉を出る。
麓郷は本当にすぐ隣だった。「原始の森」のあるペペルイ地区から麓郷へ抜ける高台を下りる道は広く見渡すかぎり人影の気配はない。西日が今日を終えようとしている時間帯も相まって、ひどくさびしく、物悲しく、それがまたとても心地よい。うっそうとした森にたたずむ「北の国から」撮影に使用された家々はシチュエーション的にはドラマの世界に浸れそうだが、トリ目にはキツイ。また今度の楽しみにとっておくことにして、冷えた身体をあたためるためにも、っていうかおなか空いたのねわたしたち、計画に入れてあったラーメン屋を訪れる。iPhoneのマップ軽く間違ってたぞ。表通りの一本裏手みたいになってたけど、実際は通り沿いだわ(←それをスルーして2周した)。
麓郷の「富良野 とみ川」は、店構えの姿かたちこそ変わったが、「北の国から’84夏」に登場したラーメン店。あれは実在するのだ。正吉を見送ったあとの黒板家の3人が閉店間際に入りラーメンを頼むが、泣いてしまって箸の進まない純。店じまいしたいのであろう態度の店員が先にお会計を受け取ると、純のどんぶりを下げようとして、見かねた五郎が吼える。「子どもがまだ食べてる途中でしょうが!」
草生やしたくなるほど速攻泣けるwwwwwww
劇団ひとりwwwwwww敵じゃないですwwwwwww
嗚呼、それに反して、なんとわたしは体裁第一で我が子のプライドをずったずたにしてしまうクソ親になったのだろう…違う意味でも泣ける。
閑話休題…。
黒板兄妹世代で、ファンには叱責されることに「’95秘密」以外はすべてリアルタイムで観てきた道産子、ここは興味本位であるとともに、地場産や無加調にこだわり、北海道ラーメンランキングで上位入賞する味だと聞いて、なお来てみたかった。
16時ラストオーダーで時計は15時40分にもなろうとしていた。先客は一組。気が引けたが引き戸を開けて「まだ、大丈夫でしょうか…」とうかがうと、「味噌は切らしちゃったけど、それ以外でよければどうぞ!」とありがたい返答。小上がりに座り、メニューを見る。元は製麺所だからなのか麺の種類が豊富で、石臼挽きの道産粉使用麺もある。
わからないのでふつうのしょうゆラーメンを二つ頼んでみる。
そばに置かれていたお土産物のラーメンを見て吹き出しそうになる。
これだ!
昨年で「北の国から」は30周年を迎え、富良野ではドラマにまつわる様々なイベントを催した。わたしが訪れたころにはほぼ終息していたのだが、そのときいただいたパンフレットに「とみ川」も当然掲載されていて、イートインメニューとしての「子どもがまだ食べてる途中でしょうがラーメン」があった。なんと「ドラマ再現(希望者のみ)つき」で、具にはしょうがものっている。なんというノリの良さ。
木のナチュラル感あふれる広い店内やメニュー、ポスターなどを眺めていると、あっという間にラーメンが運ばれてきた。ごくスタンダードな見かけ。店員のお兄さんは「(子供用の取り分け)器、お使いになりますか?」と訊いてくださり、お借りすることに。猫舌ラーメン大好きな息子は超はりきって箸が温まっている。いただきます!
冷えた身体にあたたかさ…とだけ呼ぶにはもったいないおいしさ。旭川の流れをくんだようなあっさりコクのあるスープと、平打ちの麺がぴったり。こってりトンコツが得意でなくて、近頃の人気店は軒並み口に合わないので、このクリアさがうれしい。あっさりといっても油は多くて、食べたーという満足感もしっかり。香ばしいのは揚げたネギのよう。懐かしさと新鮮味が交差して、これはめっちゃおいしい。
うまうまと絶賛しながらズルズルしているうちに一組が帰られ、店内にはわたしたちだけが残った。おりしも閉店間際。わたしのどんぶりはめずらしくスープもほとんどいただいてしまったが、息子はうつむいたまま(泣いてるんじゃなくて必死に食べている)。
「すみません、急いでいただきます」「ゆっくりどうぞー(笑顔)」
これは…まるで「北の国から」。
店員さんが話しかけに来てくださったとき、ふざけた魂が咆哮。「あの…息子が食べかけですけど、下げちゃいますかっ(ワクワクテカテカ)」
「ははははは、ご希望でしたら下げますよー。やったんですよね、うち。台本と五郎さんの帽子を用意したんです」と、店員さんはラミネートされた紙をお持ちになった。
そこには「北の国から’84夏」のあらすじと、このお店でのシーン、ここでのセリフについて記述されていた。もうだめ泣けるけど笑える。
訊くと、事前予約されて持ち込んだビデオでがっちり撮影されていったお客さんもいらっしゃるそう。大笑いしながら、わたしもやりたかったなと羨ましく思った。蛍どうする。いやわたしが蛍で五郎さんに誰か連れてくるか…また来るか…。このあたりは笑いが止まらず、もう何を言っても「ブフォッ」としか発音されていなかったと思う。その間に息子は完食。
「子どもがまだ…」どころか「子どもでももう全部食っちゃったでしょうが!なまらうまいっしょ!」であった。
帰り道が恐怖の真っ暗闇ながらも凍結してはおらず、翌日の肩こりと腰痛はさほどひどくはならない帰路だった。
夏を見た。晩秋、いや、初冬を見た。次は雪景色の「青い池」、OS Mountain Lionの壁紙のような季節を訪れたい。このあたりはいかにも雪が深そうで、遭難の覚悟もおぼえるほどの積雪に対面するハメになりそう。スタッドレスタイヤはそろそろ買い替えを進言された状態ながら今年も履くつもりなので、なおのこと運転に自信はない。でも、機会を模索したいなって思う。
たぶん、幾度訪れても、「青い池」はいつも新鮮に美しいのだろう。