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息子8歳、アスペルガー&ADHD歴3年4ヶ月(知能検査およびストラテラ経過)

Posted on 05/06/2012 12:26 by なわでいず

息子の自転車はルイガノJ16からこちらJ24に。筋力にアンバランスがあり強弱の加減が難しい発達障害の息子には、よい自転車で乗る喜びを教えてやれて大正解。すんなり補助輪が外れ、アクロバティックに乗っている。楽天でなら安く買えたんだよねー。

どうもこの数ヶ月で、アスペルガーおよびADHDと診断されている息子に関わるいわゆる「プロ」の方々の知識の乏しさに対して、やたらとかみつくようになっている。気づいてはいるものの、口から出る皮肉まじりの発言は抑えられず、その夜ひとりの時間に大反省する。

 

きのうは児童相談所へ知能検査を受けにいった。ここは5歳2ヶ月のときに知能検査を受け、札幌市内では名の知れた病院から招いた医師により「広汎性発達障害」と判定された場所で、来所前に他の小児心療内科で受診、検査を受けた際の報告などもすべてしており、その後の報告にも訪れているため、当時の資料は多く揃っている。

S-M社会能力検査は、わたしへのヒアリングテスト。「とうぜんたくさんの児童を見てきました」と言う相談員が、恐ろしく無知識を露呈するのだから、それでわかった顔をすんなという気持ちを抑えられなかった。たぶん初めてここを訪れたときの相談員がたいへん知識豊富な方で、息子の発達障害疑惑で摩耗していたわたしの支えとなり、かつたくさん学ばせてもらったからなおのことだろう。

能力検査前の聞き取り開口一番でわたしの頭からはケムリが立ち上っていたと思う。

「学校で困ったことはありますか?」

あのー…困っていなければ非定型発達児とは言われないし、ここには来ないんですよ。しかもヒマなわけでもあるまいし、親子で早退しているんですね。

 

S-M社会能力検査においても

「やっぱりそういったこだわりはあるんですかね」

「(設問に対するわたしからの「それは本当に8歳児ができてしかるべく所作なのですかという質問に対し)世間ではそうなのかもしれないですね、よくわかりませんけども」

「ほう、それで今は作業療法へ。そこではどういったことをするんですか?てーか作業療法ってなんですか?箸の使い方とか教わるの?」これには「いえ、あの、医療機関でのものですが、普通の作業療法です(ご存知とは思いますけれど的に)」とイヤミ満開の返答が口をついた。

 

本当に自閉症とは認知の広まっていない障害であることを日々実感する。関わりのない人たちまでもが知る義務はないと思う。けれども最低限知っておかねばならない分野においてもお粗末な現状である。ちなみに現在の息子の担任は五十もちかくなるが、発達障害についてはほぼ無知識だと打ち明けている。それはそれですごい話だ。

息子は無事に普通学級の小学2年生に進級した。先ごろ自閉症の6年生の児童に斜線を入れた通知表を渡されたとして大きく報道された。まったく他人事ではなく、なんとも胸の痛むニュース。

毎日新聞 2012年05月28日

http://mainichi.jp/select/news/20120528k0000e040202000c2.html

 

息子は就学前相談の時点で「特別な相談を要する」対象として、教育委員会に個別相談へ行っている。知能検査を受け、以前に受診した病院での検査結果同様に「知能には遅れがない」判定が出て、職員の女性ふたりに「支援学級ではかわいそう。普通学級に入れなさい」とご進言いただいた。

実際に3つの小学校を個人的に訪問して、いまの小学校の普通学級に入った。昨年の暮れから校長が息子に提案して、通級の措置をとった。早く学校に見いだしてほしかった「気持ちの落ち着く居所」を、それまでの校長室から支援学級に移すねらいもあったと思う。

息子は校長が大好きなのだけれど、今の小学校の校長はたいてい3年きっかりで他へ赴任されることを入学前から聞いており、よくしていただけることへのありがたさと同時に、お別れの日がますますつらくなることを懸念している。

ちなみに息子の通知表は、多くが5段階評価の4だった。生活態度はほとんど3、担任は苦心されたことと思う。現状をこれで正しかったのかどうか、正直ちょっとわからない。あのとき教育委員会の方々が口にされた「かわいそう」という言葉が非礼ではないかと思わずにいられない。彼らの判定は、知能だけを見てのものと言わざるを得ない。問題はそこではない高機能自閉症やアスペルガー症候群は、その大事な「理解を得難い部分」を、教育委員会からすらも得ていない。

 

保育園在園時よりは減ったものの他害は続いている。とうぜん被害者には駆けつけてペコペコ頭を下げることしかできない一方、先生方へはいきなりなくなるようであればそんなの自閉症ではないのだから、ちょっと落ち着いたと勝手な判断で目を離した隙にいつも起きているルーチンをそろそろわかっていただきたいと居直ることはできるほどに私はぼちぼちと自閉症の知識を身につけ、たくましくなった。

ぬるいと言われることがあろうとも、いまいち理解に苦しむ出来事であっても、私だけは常に息子の理解者、味方でなくてはならない。他害も以前保育士に指摘されたとおりで、必ず理由がある。息子が正しいと思った行動を7、8人に「悪いんだー」ととがめられ、周囲を囲まれてパニックに陥ってしまう。それでむやみに振り回した手足が周囲にぶつかったというパターンが非常に多い。先日はじぶんの腕時計を勝手に持ったばかりか床に叩きつけた一年生を突き飛ばしたという。不幸なことにその子が飛ばされた先にテレビがあり、一年生はそこに頭をぶつけたために病院送りとなって、息子は給食時間を割いて延々説教をされてきた。無論怪我をさせるのは絶対にいけないことではあるが、これらの事例は発達障害由来ともいえ、監督をお願いしていたい部分。

もっとも、「それは正しくない」と言いたい理由だってある。複数人で集まり、息子がしたい遊びやリーダーになりたがっても叶わず暴れるという行動もしばしば起きた。息子は自分の知っていることは相手も知っているという前提で話をする傾向がある。それと同じように自分がリーダーになったり、自分のしたいゲームはみんなもしたいことだと当たり前に考えているのかもしれない。定型発達脳(健常)にはただのワガママ、ジャイアンみたいに見えるだけで、残念ながらそれを周囲に押しつけるのは本意でない。みんなそれぞれが異なる意思を持っていることを懇々と話す。このへんは先生たちが「口ゲンカで許し合ったり、物を譲ったりしてますよ」と報告してくれたり、自身で「今日はぼくと3人は鬼ごっこしたかったけど、3人で相談して、ほかの3人がしたいって言ったコオリオニをしようかって決めたんだ」なんて報告してくれる頻度が上がってきた。こんなときは全力で褒め称えるようにしている。直後に水たまりに入ってドロドロの靴下で家に上がっていることに気づきゲンコツをお見舞いすることもまたしばしば。

これまでのわたしは、対人トラブルが起きたらすぐ、まずは先方の前で息子を問答無用にはり倒した。これで溜飲を下げてほしいとの願いで。そして自宅でも同じことを繰り返しもした。顔が変色するほど叩きもした。罵倒もした。けれどいまは、まず理由を尋ね、定型発達者(健常者)でも理解ができる事象であれば、それは責めないようにしている。上の後者の事例がそれにあたる。

同じタイプの子たちを見てきて息子だけでないと知ったことのひとつに、自閉症児はしばしば自分の領域を自身のなかで明確に区切っていることがある。保育園のとき、砂場で黙々と創作していた際、自分の大作のすぐそばを駆け抜けた子を突き飛ばしたことがあった。女の子だったのでますます謝るばかりだったが、保育士は一方で「息子くんには息子くんのエリアがあって、そこに侵入されるのは許されないことだったのでしょう」と教えてくれた。気づきをいただけてたいへんありがたく、けれども「他の人にはわからない、見えないルールはどうにか妥協案を提案しなければ」と考えている。これに通ずる事例は減ったもののなくなってはいない。そしてなかなか妥協案は見いだせないうちに、息子が自力で開拓を試みている様子がうかがえる。

後者の事例では、それはわたしが買ってやった、息子が長らく欲しがっていた時計で、本人は大事にしていた。それを触られたばかりか叩きつけられ、本人が「壊れるかと思った」と泣くのだ。何があろうとも暴力や暴言で返してはいけない。すぐに先生に言うこと。そうすれば叱られるのは相手だけになる。相手が悪いのに暴力を振るわれたら被害者と加害者は逆転して、悪者は息子になる。そんな不条理はつらいと説明している。まぁほんとなら「ボディにしてやれ」って言ってやりたいんだが。

ただでさえ何気ない日常からさまざまなパターンを学び、五感に経験していく定型発達児と異なり、それらをスムーズに取り入れる能力が欠落している息子。殴り殴られて痛みを経験するのも悪くないとは思うんだけど、相手を選択するような能力と、それらをすべて受け入れるわたしの度量はちょっとない。

 

さて、これらすべてが服薬しての生活であることも、いいかげん書いておかねばなるまい(アインシュタインの訳本みたいだな)。

2011年1月より投与を開始した非中枢刺激薬ストラテラは、当初こまめに記していたように、ずいぶんと副作用に苦しみながらも、最大値の1.8mg/kgに値するステップ4まで進んでいた。

結果として得られたのは、ひどい偏食。と言いたくもなるが、いちおうそれなりに効果はあるのだとも感じる。対人トラブルが最大の悩みで、それらの多くはADHDが発動→自閉出発というパターンが多い。ストラテラはADHDに作用するのだから、発露を抑えることを期待するわけだが、これはあくまで薬であり、魔法ではないことを痛感させられる一年半であった。

6歳になってほどなく医師に提案され、同時に「劇的な効果を望めるわけではない」とも釘を刺されていたのに、半年も迷って処方をお願いしたわたしは、多くの戸惑いに悩む学校生活や、副作用の頭痛や食欲不振で元気のない息子を見て、「費用対効果」を多く見積もっていたなと反省している。

1月には主治医でない医師との相談で1段階下げたとstep3とおっしゃっていた量へ、5月からは先の処方量がstep3と4の中間であったことから体重をきちんと計算して正しいステップ3へ減量している。投薬中止も視野に入れている。

 

ストラテラはADHD由来の衝動を抑えることで、まず他害が減り、それによって息子がみんなと過ごしやすい学校生活を送れることを祈っての処方受け入れだった。まったくなくなったわけではないものの、入学当初より減ったことを、ストラテラの効果のみと断定などできまい。発達障害は「発達の遅滞」であり、成長が止まっているわけではない。なにより当人も自身の考えがなぜ周囲に伝わらないのか理解できないジレンマに苦しみながら、その糸口をつかみかけている過程にあるかもしれない。連休などに勝手に中断しては様子をみるなどして効果はそれなりにないでもないことを確認して、かつ当人の最大限の努力や成長も見越して、現状に落ち着いている。

こう書けば平穏にも見えるかもしれないが、じっさいはまったくそうではなく、当人はずいぶんとたくさんの戸惑いに小さな頭を悩ませているのだろうと察しているし、それらによって起きる出来事にわたしは疲弊している。電話のコール音に脅え、つい他愛もない物言いに安易にいら立ち、これまでなかったほどにいちいちチクリとやっては後悔したり。性善説をつぶやくのは、世が悪意に満ちて見えてしまっているからなのだろう。そんなことはないとも思うのに、疑心暗鬼の保険をかけつづけてしまう。

その、定型発達児と同じくなれるだけの「あとちょっと」の障壁の高さ。

 

かといって、挫折するつもりはないので、無理のない範囲で目指そうかとハイキング気分で臨むこころのゆとりをなんとか会得しようと…うん、やっぱり「苦心して」模索しているところではある。

 

この数ヶ月間、心理学の書籍からツイッターで帯広畜大の渡邊芳之先生のツイートを見て、そのニュートラルなものの捉え方は、発達障害児と暮らしていくに必要なスキルだと考え、なんとかまねできないかとも思っている。

読書家なので毎月1冊本をプレゼント。ほとんど楽天ブックスで注文している。


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