〜long as grass grows,water runs

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rejuvenation|ちょっと持ち直した

Posted on 31/12/2010 03:57 by なわでいず

住居階下さんへの水漏れトラブルで憔悴しきっていた。すべてに投げやりになった2日間を経て、30日を迎えた。「お正月、大好き!」と今年も言う息子を前に大反省。どうにもできないのだと気持ちを立て直して、大量の洗濯物とマイバッグを持って家を出た。

ありがたいことではないか。わたしはお正月が嫌いだった。好きじゃない食べ物が連日続き、興味をそそられないテレビ番組を延々流し、小学生の何年間かは長期休暇と同時に根室の親戚宅へ追いやられた。現地の5人兄弟の従姉妹たちより年少で、末っ子にはまあ威張られた。同じ北海道で生まれ育つ身にも根室はレベルの違う寒さ。銭湯の帰り道、濡れたフェイスタオルをぶんぶん振り回していたら凍った。楽しげに笑う写真は残っていても、あまりいい記憶は残っていない。

息子はガミガミする母とそれでも一緒にいたがってくれて、つくるものをおいしいと喜んで食べてくれる。至上の歓びとは、このことだろう。

東京の親友の顔を思い浮かべていた。彼が帰国して最初に暮らしていたアパートには、お風呂はないし洗濯機も置くスペースがなかった。洗濯機をベランダに置くとか考えられない北海道民、それだけでも驚くのに、「ない」だなんて。彼はそこで長らく暮らした。そう思えば、階下の方へご迷惑をおかけしたままで申し訳ないことだけは別として、これ以上のご迷惑をおかけしないためにトラブルの元凶とされる雑排水管を通るお風呂・洗面台・洗濯機を使えないわたしの暮らしは、死ぬまでのことでもないなと思えるようになった。スマン。

コインランドリーはいっぱいで、元々直接肌につけるものなんかは抵抗があったことも手伝ってお洗濯は諦め、息子が楽しみにしている年越しそばも含めて、急ぎ支度でもお正月らしいものでもつくろうと、お買物をして帰った。

きんとん、筑前煮、焼豚(北海道の習慣ではありません。なんとなくわたしの趣味)の下ごしらえを同時進行しているとき、まさに彼から電話が入った。いつもいつもどちらかが尿意の限界まで話し込んでしまう。炒めはじめた筑前煮の材料が冷えるまで、話した。自分がこんなに笑えること、感性があることを、このところ忘れていたんだと気づいた。

彼とは、同じ土地で同じ生活をしたことがない。遊びに行って2週間泊まり込んだことはあれど、彼は沖縄出身で海外生活を挟み在京、わたしは生粋の道産子。

しかしなんといっていいのか、わたしの人生に失くしてはならない筆頭格の存在。

「たいせつ」なんて言葉すら陳腐に響くくらい、いなくなるなんてあり得ない。

 

いまは妻帯者となり、わたしたちはふたりとも、このうまく表現できない近しさを認識しているだけに、電話の頻度も高くない。かけていいものか迷うようになり、今は彼からの連絡を待つばかりになっている。

そうなんだ、なんーとも不思議に、恋愛感情とは違う、むしろ壊れる可能性をはらむつながりだなんてもってのほかと言いたくなる関係。ただ性別が違うだけ。それだけとは言えないかもしれないけれど、二択を迫られたら「それだけ」と返答する。

出会ったときから何かが違っていた。努力家で、博識で、彼から学ぶことは多くとも、彼がわたしから学ぶことなど皆無に等しかったのではないだろうか。他の人との関係でそれがわかれば「この人はわたしと付き合うことに意義を感じているだろうか、同情だろうか」と卑下したものだが、不思議と彼にそれをおぼえることはあまりなかった。わたしの人生において、画期的な感情だった。わたしたちは話し合って、前世からつながっていたのだと推定している。「生まれ変わったら今度こそ一緒になろう」と誓って心中した同性愛者ではないかという結論に至った。今回は見事に性別は異なったけれど、そういう感覚はなく、深いところでつながっているように感じている。来世こそと笑っている。

それまでも親友と呼べる存在は常に存在していたけれど、大人になるにつれ、何かを身につけ、何かを捨てていた。全幅の信頼をおけるとは、こういうことなんだと、彼というかけがえのない友人を得て、つくづく思った。コンプレックスの塊で、自身すら信用できなくて、それが他人など信頼できるわけがない性分につながっていることを、痛感させられた。

メンタルで人生最大に弱っていたとき、ずっと励ましてくれたのは彼だった。東京に行くことじたいが無謀だった最悪の時期には、空港に行く前に発作、空港に着いて発作を起こしてやむなく断念したこともある。対人恐怖がひどかった。誰と会おうとも彼がそばにいてくれたら平気になれたものの、彼の前でもパニック発作を起こし、電車でも意識が遠のくほど接触が怖くて、彼に触れられても悲鳴をあげたこともある。下北沢の狭い道路に車が入ってきて、それを避けようとしてくれただけなのに。それでもついていてくれた。誰もが反対した、東京へ行くことを止めもせず、ただの厄介を受け入れてくれた。懲りずに幾度でも「自信を持て」と繰り返してくれた。結局は息子を出産してしばらく経ってはじめて「こういうことかな?」と思えるくらいになれたのだけど、気づけたのは彼の言葉が脳幹にしみていたからこそだろう。ケンカもしたけれど、振り返るとわたしが悪い。どんだけだと言いたくなるほど気の長いヤツなのだ。数年前まで東海地方の存在を知らなかった地理白痴で方向オンチでイナカモンのわたしが、スイスイと東京を遊び回れるようになるほどたびたび東京を訪れたのは、競馬遠征だけのためではなかった。阪神に行くためにも東京から新幹線で行った。先日の関西遠征を本気で検討しはじめた当初から、どうにかして東京に行けないかを模索していた。
競馬はしない彼が若干の知識を得てしまったのは、わたしから吹き込まれたから。どういった経緯で、また、どのような滞在をしたのかもところどころ記憶にないほど体調を崩しているときに無理を押して行った大井や府中に何度も付き添ってもらった。ビギナーズラックで馬券を当てられて軽く殺意を抱いたのだけど、集った仲間で配当を超えるほど夕飯をゴチになったので勘弁してやった(超えらそう)。

映画への造詣が深く、かつわたしへの造詣も深いので、彼に作品のチョイスをお願いすることもある。ロードショーはほとんど行けなくなってしまったし、もともと趣味が違うのだけれど、それもわかった上で彼は選んでくれる。すすんで教わった作品はすべて観ている。ハズレたことは一度たりとて、ない。これからも絶対にない。

超チキンな性分を知っていながら彼がゴリ押しした作品のひとつが、映画じゃないけれど「24 Twenty-four」。銃を持っているだけでも怖い、戦争映画なんてもってのほか(プラトーンで映画に深入りしたくせに)だとわかっていて、どうしても観ろとシーズン1のDVDを送ってきた。一年以上放置したことを、とても悔やんだ。怖い。劇的に怖い。だけどやめられない。そんなことを訴えると彼はいつも「早くオレに追いつけ。話をしたい」と悶絶していた。そして絶妙なタイミングでシーズン2を送ってきた。つづいてシーズン3も。

妻帯者になったことだし、わたしは薦められたからではなく、自身が観たいと切望しているのだから、自分で買うと反抗しても贈られた、シーズン4。もらってから一年ちかくが経って、まだ第6話までしか観ていない。本当にツボってしまって、集中して観たい性分がモロに出てしまい、お盆では時間が足りず、一年で唯一全身全霊でだらだらするお正月しか観られなくなっていた。

クリスマスの朝、シーズン5をネットで注文しようとしていた。お正月にシーズン4の続きとシーズン5を観て、遅ればせながら最高潮に達して、すでに続編の製作を待っている段階の彼に近づいて、たくさん24の話をしたいと思っていた。

当日になってなぜだか急に「持ち越し」と思い直して、クリスマスケーキを引き取りに出かけて、夜、宅配便がやってきた。Amazonのロゴに即座に誰が何を贈ってきたか直感できた。当たっていた。彼からのプレゼントで、息子には親子で楽しめるアニメDVD、わたしには「24 シーズン5」がきれいにラッピングされていた。

 

12月には2度も、彼からの電話に出られなかった。ふだんは話すのもおっくうで電話に出ないことは少なくないが、彼からの連絡には当てはまらない。コールバックできないほどドタバタだった。せっかくの話せるチャンスを逃した大失態にヘコんで、お詫びと遺憾の意のメールを都度送っていた。彼はついでにシーズン5を入手したかどうかを訊こうと思っていたと笑う。もう持っている可能性も覚悟して贈ってくれたのだと。絶妙なタイミングにふたりとも笑った。「でさ、トニーが〜〜〜〜」「あああああああああああああ(展開など聞こえなくなりたい)だからまだトニーなんか本編に出てきてないけど、DVDボックスのジャケットに映ってて『出てくる』とわかっただけでもショックだったんだよううううう」を何度も繰り返し、互いの近況を尋ねあい、最近観た映画の話を聞き、わたしのくだらないグチを聞いてもらい、「大晦日にタイタニックはもうやめとけ。意味があるシーンは(ジャックがローズの)絵を描くところだけだ」と念を押され(ごめんたぶん観るし、それに気づいていることだろう)、「でさ、ジャックが〜〜〜〜」「あああああああああああああ(以下罵声)」‥‥いつものお別れの挨拶、いつものタイミングで電話を切った。

 

フジヤマケンザンさんだったか、香港遠征時にミスターバイタリティのゼッケンに表記された「活力先生」に爆笑した。彼こそがわたしにとっての活力先生だなぁと、電話を切ってトイレへ駆け込み、手を洗いながら考えて、開いた穴がふさがって今夜も感じる。気持ちが軽くなっていること。

ほっとひと息ついて、24時をまわっているのを確認してなぜか微笑んで、再び台所に立った。数多の作業工程に、落ち着いて取りかかれた。なますの甘酢づくりは忘れて寝たけど。

「24」はもちろん面白い。大晦日には用事をさっさと済ませ、帰宅したらお料理もざっと仕上げ、息子を早く寝かせて、ひとり年越し徹夜24を画策している。寝てくれなかったら最悪みぞおちに一発入れても。楽しみで仕方ない。

でも、思い出す作品がもうひとつある。彼の部屋に泊まり込んでいたとき、わたしに見せたいとレンタルしておいてくれていた「ウォレスとグルミット」。銭湯で温まって部屋に戻り、ふだんは飲まないコーヒーを淹れてもらっておいしく飲んで、24時をまわってから、薄明かりの下ふたり並んで体育座りで再生して、壁の薄いアパートだから必死に声を押し殺して、代わりに目から涙を浮かべて、顔を見合わせて爆笑した。続けて何本かを観た。めっちゃくちゃ面白かった。大井競馬場の往復の道のりや、誰が一緒にいたかをまったく記憶していないくせに、あの夜の出来事を、10年経ったいまもいとおしく思い出す。

息子が歩けるようになって、「ウォレスとグルミット」を借りて観た。なぜだか、あの頃のように笑えなかった。お一人様なわたしが、しかしながらいつもどこかで思っていたワガママ「同じものを同じ視点で感じられる、気の置けない人と、感情をシェアしたい」が、実はかなっていたこと、彼が唯一無二で不世出の存在であることを証明したのかなと、思った。いつか息子が彼に成り代わってくれたらうれしいけれど、そこまでは高望みってものだ。それほどの困難であることを、彼がそれほどの困難を突破した希少な存在であることを、私自身がよくわかっている。

たぶん、彼が同じ星で呼吸をしているだけでも、少し安堵して生きていられる。

今は、他人との接触がずいぶん平気になったものの、相変わらず好んではいない。だからこそ、社交辞令で言うことのできない、本気でまた会いたいと思う人にだけ「またね」の意味を込めた握手に手を差し伸べることのできる人は、未だに少ない。彼とのお別れの挨拶に欠かさない習慣の、握手。少なくていいんだと思う。わたしにとってそれはすごく深い意味を持つ。

今年も会えなかったけれど、遠い北の地に生きるわたしを忘れずにいてくれて、ありがとう。 いつか強襲したる。カゼひくなよ。少し骨休めしとけ。活力先生。

 


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