〜long as grass grows,water runs

naritabrian.com


12年

Posted on 30/09/2010 23:13 by なわでいず
100927_旧CBスタッド_ナリタブライアンのお墓

100927_旧CBスタッド_ナリタブライアンのお墓

9月27日、新冠からの帰路。

降り始めた雨のなか、反則金の支払用紙を荷物に増やし呆然と走る道すがら、札幌に入るころの空は重たい雲をかき分け、美しい夕陽で一面を照らした。急降下の気持ちは、ふたたびナリタブライアンが授けたのであろう空の美しさに浮上した。

ほぼ競馬で埋めつくされたwebサイトを開設してから、場所を変えてもずっと、ナリタブライアンの命日にお参りしたときのことを記してきた。

はじめは深く考えることなく、あれから1年が過ぎたんだなぁと思い、1999年9月27日のお参り記のタイトルを「一年」にした。それを繰り返すこと、11度。

お約束どおりに寝坊して、急ぐ日高路。朝見た日高地方(浦河町)のお天気は雨だったけれど、雨具の準備は考えなかった。

ゆっくり走るサラブレッド銀座の放牧地には、離乳した当歳たちがぐんとたくましくなった姿を見せている。かわいいなぁ。うすくかすれた雲のかかる空は、新冠町に入るころにはモクモクの雲に変化していた。サラブレッドたちを美しく光り輝かせ、日焼け止めを忘れたわたしの両手を焦がすような日射し。

今年も、晴れたね。

1998年9月27日、ナリタブライアン死亡。享年7歳。

腸閉塞を起こした3ヶ月後、ふたたび疝痛を訴えた。我慢強いブライアンが訴えるころには時すでに遅し、胃破裂で手の施しようのない状態だったという。

初年度産駒の誕生を見届けたきり、2世代目の仔どもたちを見ることすらなかった三冠馬のあまりにも早すぎた死は日本じゅうに知れ渡り、日高じゅうの花をCBスタッドのナリタブライアンの馬房に集めた。献花はあっけなく馬房からあふれ出て、ブライアンの放牧地の前に用意されたタープを立てた献花台は、やっぱり花であふれかえった。

ひと晩じゅう泣いた。

翌月曜の昼に倒れた。

火曜の朝には意を決してブライアンに会いに行こうとCBスタッドを訪れた。車から降りるまでにずいぶん時間がかかった。来ておきながら、現実と対峙する心の準備ができなかった。死んだなんて微塵も考えられなかった。たちの悪い季節外れの冗談だと信じたかった。

翌春、土葬されたブライアンのお墓にお花を供えるまでにもひどく時間が必要だった。ブライアンの埋められた土の盛り上がりの前に呆然と立ち尽くすだけでも精いっぱいだった。ブライアンが死んだと認めたくなかった。頭がまっ白だった。一緒に来ていた友人たちは、わたしが献花すべきだから、わたしが行けるまで待とうと黙って見守ってくれた。お花を手向け、うつむいた瞬間から、涙がぼろぼろぼろぼろこぼれた。丘を下りる途中、種付けが見えた。終えてこちらを向いた馬を見て、やっぱり生きてた!と思った。ビワタケヒデだった。すべてを認め、受け入れられたのは、この日だった。

奇しくもすぐ近くの早田牧場でビワパシフィカスが生まれ、引き換えにパシフィカスが子宮破裂で亡くなった春だった。

あれからもう、12年も経った。

 

100927_旧CBスタッド_ナリタブライアンたちの眠る丘から

100927_旧CBスタッド_ナリタブライアンたちの眠る丘から

ブライアンの眠る土の盛り上がりは、あたりと同じように草が茂り、丘になじんでいる。

ここからの景色は12年前から変わってなくて、まったく変化して。ブライアンズタイムやサンシャインフォーエバー、エムアイブランやビワタケヒデがいなくなり、タケヒデのいた放牧地にはマヤノトップガンが入っている。

ここでコマンダーインチーフ、そして先ごろはオグリキャップが旅立っていった。

非常に申し訳ないのだけど、優駿スタリオンステーションの所有地となったナリタブライアンのお墓は、優駿SSの種牡馬じたいが見学禁止とされている以上、従来は見学が許されない。この日だけは特別にお許しいただいている。

丘を登り、お墓へ着く。毎年花を手向けてきた馬頭観音様がなくなっていた。縁起をかつぐ馬産地では、前の所有者の馬頭観音様はお祓いして処分するそうだ。

あたりの掃除刈りをしてくださっていて、CBスタッドを築き上げてきた種牡馬たちの眠るお墓はこざっぱりしている。
墓石を囲む砂利に雑草がたくさん生えていたので、黙々と抜いた。待ち合わせた仲間たちとお墓を囲み、それぞれに持ち寄った水をかけ、新品のタオルやスポンジでお墓を磨いた。ときに土の下のブライアンに話しかけ、「12年も経ったんだねぇ」と話し合い、ときに黙々と。リヴリアやダンサーズイメージらの並ぶ墓石にも水をかけ、きれいに磨き、ブライアンに謝って、わたしの持参した花束から1輪ずつお花を抜いて、それぞれに供え、手をあわせた。

ナリタブライアン。
怪物と呼ばれたあれだけの馬なのに、丸い瞳とやさしげな顔立ちで物怖じせず威嚇もしない、親しみやすさも併せ持った、本当に不思議な馬だった。

ブライアンへの想いを分かち合う仲間たちとは、幾度でも懲りずに「もう12年も経ったんだね」と口にしあう。たぶん、今いる人たちとは、10年後も同じように語らっているだろう。なんとなくそう思ってやってきた。みなさんが異口同音にそう言った。

ああ、きっと、そうなるんだね。

あっという間で、だけどきちんと振り返ると、年月なりの変化は起きていて。わたしなんか老化が顕著で、見た目から明らかに老いていて、息子を連れて7度目の訪問で、体力がますます落ちているから、明日からシャキッと社会生活に戻れる自信がなくて。ブライアンとて生きていても、はや19歳なのだから。どんなおじいちゃんになっていただろう。わたしたちにはつやめく黒いベルベットの記憶しかない。

お花ににんじん、りんご、どういうわけかおむすび。当日に来られなかった方々の献花も含めると、ブライアンのお墓はとこしえの春の様相となった。

誰ともなしに、最初に着いたわたしがお参りのトップバッターを務めた。

ひざを着いて手をあわせると、自分の思考でも追いつかないほどにこの一年のブライアンに伝えたい記憶が、自動的に脳からお墓へ吸い込まれてく感覚。まぶたの裏側で、ブライアンへ送信されてく記憶の映像が、走馬灯のように流れるのが見える。比喩でなく、不思議でもない。今日という日に、彼への事象であれば。

ごめんね、たっぷりあるね。一年に一度しか来られなくて。これ以上のご迷惑はスタリオンにおかけできないから。

ナリタブライアン記念館の閉鎖が決まった一昨年、記念館で過ごす最後の命日に、記念館に掲示させていただいた、ブライアン産駒と妹や弟の写真を持ってきた。ナリタブライアンだけでなく、産駒や兄弟も追ってきた仲間が集まる。この仔はどれほどがんばったか、この仔は無事に孫を送り出してくれている、ビワビーナスの仔は、ビワカレンの仔は、ビワパシフィカスの仔は、ビワタケヒデは、ビワタイテイは…

ブライアンの記憶に帰り、めいめいがどれだけブライアンの快進撃に胸を躍らせ、不振に苦しみ、どんなふうに「Xデー」を迎えて、現在に至っているかなどを話し合う。もう誰も泣かない。けれど、痛い。痛いけれど、彼を送る儀式を経たわたしたちの、とりとめのない金魚の会話。切なく、苦く、けれどもほの甘い。

本当に、なんて言えばいいのか、誰もがわからなくて、誰もがわかっている。

ナリタブライアンが死んだ事実を受け入れている。

早田牧場が倒れたことも、よく知っている。

それでもなお、わたしたちはナリタブライアンを愛している。

死して愛情と記憶が薄れようか。

死ぬよりもつらいことは、忘れられること。

なれば、死後12年も経過して、いまだわたしたちの心に想いを灯らせるナリタブライアンは幸いで、ナリタブライアンが幸いならば、わたしたちの心にはあたたかな灯りがともる。どれだけ落ちぶれようとも、生きていてほしかった。それもかなわぬならば。

孫たちがなかなか動いてるね。ブライアンの後輩たちとの歴史と血が混じりあって、ふたたびわたしたちをターフに惹きつけるかもしれない。

さて、現在に戻りましょうか。

タケヒデ部隊長のわたしから、ビワタケヒデの先月の様子を報告する。ほんとは今月の近況といきたかったのだけど、お天気が悪くて…。タケヒデの予後は、本当に胸を痛めてきたけれど、いまは表情がピカピカで、元気に、生きています。

遠くは東京から、十勝からも日帰りで、近くは本当にご近所から訪れた仲間と、再会を約束して、お墓の前で笑顔でお別れした。

誰もがもう一度、お墓に手をあわせて去っていった。たまらなかった。口にしなくとも伝わるものが、わたしたちにはたしかに存在していた。

ここまでくると、同窓会みたいな感覚なのかな。天下の「20世紀の名馬100選」第一位の三冠馬に幹事をさせちゃって。

夕方から雨の予報は覆されて、帰り道の日高地方は西日に照らされた太平洋が、静かな白い波を穏やかに立たせていた。静かにたたずむシャドーロールの黒鹿毛が、ぼんやりと見えた。

厳かに、あたたかく。

ありがとう。

どうなってしまっても、生きていてほしかったと思わずにはいられないけれど。

こんなにつらいなら、好きにならなきゃよかったと思った。

こんなに苦しむなら、競馬なんて今すぐやめようと悔やんだ。

それでもね、出会って大正解だった。

出会わなきゃわたしの人生なんてロクなものじゃなかった。うつむいて波風立てずにちっさい平和を温存することだけに注力するような、今のわたしに言わせると「くだらない」ものになっていた。

ありがとう。

生まれてきてくれて。

短くとも同じ時代を生きてくれて。

毎年来ていて、CBスタッドの場長が、そしてナリタブライアン記念館の館長が、わたしをお墓に招いてくれて、同じように産駒を追いかけた方々といろんな競馬場で、同じように過ごしてきた方々とここで、引き合わせてもらって。

仔どもたちを追いかけてたくさんの生産牧場で良くしてもらって、そこに今日の仲間のひとりがいて。弟の動向をストーキングして。充実しているよ。

ありがとう。

左脳にはあなたがいる。

生きている人たちと、あなたを語らえる。

穏やかな気持ちで帰路につくと、信じられないプレゼントが届いた。ちょっとガマンもしていたんだ。平静を保たんとした裏の努力などあっけなく崩れ落ちて、へなへな泣いた。あたたかなお人柄に触れられた幸いへの感謝が、どんな語彙にもあらわせない。

あれから12年も経ったのに、あなたはまだわたしにギフトをくれるんだね。

この感謝の気持ち、どうしたらあなたにお返しできる?

お願いだから、それだけは教えてよ。

12年も待ってる。

‥‥‥なら、もう10年くらい、返事は待てるかな。

ナリタブライアン、没後12年。

関連リンク:「オグリキャップに最敬礼


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  1. 03 10 10 13:57

    オグリキャップに最敬礼 | naritabrian.com



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